「人を批判している人」についてふと思うこと
人をディスったり。マジ、ありえね〜とか言ってみたり。
あんなんでよく歩けるよね、とか言ってみたり〜らじぱんだり。←一度使ってみたかっただけ
青木です。
(まいど)
人を批判する人のことをどう思いますか?
人のことをとやかく言う人。周りにいますか?
めっちゃ人に厳しい人。
すぐにアラ探しちゃう系?
あんなんでよくそんなんできるよね系?
恥ずかし〜。とか、ないない、とか。
やばくね〜?とか、ないっしょ、とか。
きしょ!とか、こしょとか、わしょとか、わっしょいとか、とか。(後半違う感じ
これね。よく、そういうの気分悪いとか、うるさ〜とか、いろんな感情がでると思うのですが。
なんとなく、私が思うことを本日はシェア。
人の批判をしている人を目の前にすると、思うこと。
いろいろな考え方とか反応があって、それはそれは十人十色だと思うわけですが。
最近、Twitterを始めたこともあって、いろいろな人の、それはそれはいろいろな独り言を見ていて私がふと、思うこと。
それは、これ
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キミもそんなこと、しちゃっていいんだYo
批判の内容そのものを、その人もしてしまっていいんだよ〜!と思うわけです。(したくないもん!って言われそうだけど
批判することについて
人を批判したい「タイミング」というものがあると思っていて。
なにか爆発的なエネルギーが湧く時とか、自分を動かしたい時とか。そういう時にそういう感情とともに戦うべし!みたいな時ってあると思うわけです。
なので、批判最高!やってよし!
と、思う。(言うことで満足して、なにも動けないともったいないな・・・と思うけど)
でも、同時に思うのが、その「批判」によって「自分を苦しめないでね」ということ。
あんな服、よく着れるよね〜
という批判は
「自分は、あんな服、似合わない限り着てはいけない」という制限になるし。(無意識で、絶対やっちゃだめ!ってなる)
なにあれ。かわいこぶっちゃってさ〜キモっ
という批判は
「かわいこぶってはいけない」という制限になる。(いつか、どこかのタイミングで必要に迫られたり、かわいこぶりたい時が来たときに、キモっ!絶対やらない!ってなる)
あんなバカな発言をみんなの前でよくできるよね。は、
「バカな発言は人前でしてはいけない」という制限になる。
とにもかくにも、批判をすることによって、自分を縛るという作業を同時にしていることに気がついていなくてはいけなくて。
これ、英語のシーンでもめちゃくちゃ多い。
「あ、変な発音で話しちゃって」
って批判すると、きれいな発音じゃないと話しちゃいけない制限発動。
「あ、文法間違えた。恥ずかしい」
って思うと、「文法間違えたら、話しちゃいけない」制限発動。
この制限発動が、なによりもコワイと思うわけです。
人を批判したかったらしたってオッケー牧場。
だって、したいんだもん。でいいと思う。
そういうフェーズに自分がいるなら、毒出しはそれでやればいい。
でも、その発言によって、将来の自分の可能性を縛る可能性だけ知っておいてほしいな、と思うわけです。
動くことがコワくなるから。
言いたかったら思う存分言ったらいいんじゃないかな、と思うけど、ただ、人を批判しながら、同じことをしてしまいそうな自分に制限をかけないということはめちゃくちゃ難しい。
ということで、これが一番効くんじゃない?
だから、一番いいのは、語尾だけ「最高だね!」に変えておくこと。(友達と、「ディスってるけど、語尾だけ変えとく同盟」しておくと便利)
「やばい!あんな洋服着て・・・最高だね!」
「人前で、あんな発言して・・・最高かよ!」
「かわいこぶって・・・最高かよ!」
に変えておくと、将来自分がなにかをしようと思ったときに、楽に自分を動かしてあげれるんじゃなかろうかと思っています。
そして、自分を許していく。
そうやっていくと、「自分って最高かよ!」ってなっちゃうんじゃないかなと思ったりしています。
周りに批判する人が盛りだくさんなとき
そして、批判をする人の側にいると、「不安」になる方。
「あ、こんなことしたら、そんなこと言われるんだ」という「呪い」が漏れなくかかっているという事実を知る必要があって。
それはじわじわと汚染されていくので、話をしていて不安になってきたら
「本当に自分はこの人と一緒にいたいのか?」
を自分に聞く。
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もしも、答えがノーなら、すみやかに退避してみてください。驚くほど自由になるよ。
そしてその答えが、イエスなら、「呪いからの解放運動」をする必要があるかと思っています。
「あれは、あの人が考えていること。私は、最高かよ!と思ってたりする」
と、きちんといちいち解放してあげてね。
なんか、愛しい生き物だよね、自分って。
ということで、まいど、自分のことに着手します。
なぜか知らないけど、やたら恐怖心を感じるものに着手することによって、自分の解放運動をしようと現在思っています。
現状、私がなぜか恐怖心を感じるのは、「ホットパンツ」
むかしむかしそのむかしに、きっと呪いにかかったことがあるんだろうな・・・(完全に忘れてるだけで)
あぁ、はこう。とりあえず買い物に行ってみようと思います。
みな、自由であれ。
おしまい