「練習」をやめようと思う件
最近、ふと思うことを書き留めておこうと思います。
人はある事柄に関しての「概念」を与えられるだけで救われるかもしれない、と思う瞬間があって。
なんとなくもやがかかっていた気持ちに「言語化」が行われるだけで、ものすごく楽になったりするものなんだなぁと。
どのタイミングかは忘れてしまったのだけど、最近こんな概念を、知るに至りました。
「練習」をやめて「稽古」へシフトする
「なんとなく感じていた違和感」にドンピシャだった概念。
それは、「練習」と「稽古」についてでした。
「練習」=勝ち負けを決めるための準備
要するに、
「今ここ」にはない「一瞬の幸せ」を追う
って言うのが、「練習」
基本、「勝つため」に練習するもんね。
確かに。
でもこれ、(私は)ずっとしんどくて。
私を認めて!って言う世界観な感じがしていたのです。
いや、そんなことないよって言う人ももちろんいると思うので、あくまでも私の肌感覚ね。
これに対して。
「稽古」って、「照今(しょうこん)」っていうんだって。
「今を照らす」で、「照今」
いわゆる、マインドフルに経過を楽しむってことらしい。
「すでにある喜びに生きる」っていうこと。
すごく好きだな・・・この感覚。
「今を楽しんでる」って、苦しくないし。
エネルギーが上がる感じがする。
これ、年齢によっては「練習」によって自らを成長させるっていうフェーズがあってもいいと思っていて。
なので、それはそれで、アリかな?とも思うんだけど。
なんとなくやっていて息苦しさを感じたり、
満たされない感じがする時は、
「稽古」を意識すると幸せな感じになるなぁと思うわけです。
だって、私たちって「幸せになるために生きている」ように思うから。
「今すぐ、幸せ」になっていいんじゃなかろうかと。
今日の「ふと感じる」こと。
そういえば、
この間、観てた海外ドラマで、魔法使いが
「その願いなら叶えてやる」
って、やってきた男の子に伝えているシーンがあって。
そこの英語がとっても興味深かった。
そのまま英語に訳すと、
「その願いが」を主語にして、「叶えられる」みたいな感じに英語に変換しそうだけど。
ドラマでは、
→ You came the right place.
(お前は、正しい場所に来た)
って表現していて。
「その願いなら叶えてやる」をイメージ化するとそんな感じに確かになるかも!と一人で興奮。
これも、「稽古」
「いつか英語を話すシーンでバカにされないように練習する」んじゃなくて。
今を楽しむ。
単に、私はそれが好きっていうだけの話だけど。