大好きな人が自分を愛してくれないとき
最近娘に残しておきたいテーマが溢れてしまって。
今、彼女は10歳なので、まったくピンと来ないだろうな、と思うのですが、もう伝えておきたい!という熱量がすごいです。なので、これ読んでる人のヒントにもなるかもしれないから、シェア(娘になった感じで読んでw)
大好きな人がいました
すごくすごく若い頃。7回ほどフラれた人がいます。←7回ってw
すごくすごく好きで、憧れていました。でも、決してその「好き」は報われませんでした。辛くて、悲しくて。いっぱいいっぱい泣いたことが、昨日のことのようです。
でもね。ある日、ふと気がついてしまった瞬間があって。
「あれ?私、この人のこと、アイシテルのかな?」って。
だって、違和感がすごい。
「自分のものにならない」という理由で泣いてるって、なんかすごい違和感。
それって、所有欲?
それって、自分かわいさ?
その人を「本気で好きになる」ってどういうことだろう?と悩みました。
結果、気がついたことは、これ。
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多分、私、恋してるわ。
そして、それは、愛ではないわ。
私が愛してるのは、自分だわ。
「本当の好き」って、自分のものにすることでも、愛されることを求めることでもない。
その人が幸せであって欲しい、と思えることじゃなかろうかと。
うっすら見えてきて、驚愕した記憶があります。なんていう、茶番!w
それでね
でもね。辛い気持ちとか、受け入れてもらえない切なさとか。
そんな気づきを得たからって1ミリも変わらないわけです。辛くて、苦しくて、惨めで、自分であることから逃げ出したくなる。
そういうところに来てしまったら、もう、やることってひとつだけで。
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「その人を超えていく」
その努力を自分に課すことだけじゃないかと思うわけです。
その人の「すごいと思うところ」「憧れるところ」「美しさ」
それを全部言語化して、すべて、その人以上になるように、ひたすらひたむきに努力する。
あ、でもこれ。ちょっとトリッキーなところがあって。
その人に「認められるため」に努力するのは、破綻する気がします。
いつも、集中するのは「自分」。「相手」じゃない。
相手が、この自分を見てどう思うか、というイメージをしている間は、決してこの罠から囚われたまま逃れられない。それって、相手に主導権を渡している。
自分の人生の主導権を、人に握らせない。
自分を幸せにするのは、自分。
自分の人生の舵を取るのも、自分。
そして、いつの間にか、その人を超えている自分をイメージする。
何年かして、その人以上の人に出逢えていないとしたら、それは自分がまだそれ以上の人間になっていないだけ。
ひとつ上に行ったら、出逢う人も変わる。
出逢う人が変われば、その人以上に魅力的な人に必ず出逢える。
自分を、そういう場に連れて行ってあげる。
拗ねることなく。
ひねくれることなく。
ひたすらに自分を信じる。
そうやって、自分がまだ想像もできていない世界に、自分を連れて行ってあげて。
世界は、あなたが思う以上に広い。
世界には、魅力に溢れて輝いてまぶしい人で溢れてる。
そして、あなたが欲しいのは、その「人」ではない。どこかに「満たされない穴」のようなものがあって。それを埋める「感情」を欲している。常に自分と向き合って、自分が本当に欲しいものを手に入れて欲しい。
その人に振り向いてもらえない「悔しさ」は、「傷つけられた」という思い込みから生じるただの「勘違い」。選んでもらえなかったその「痛み」は、「自分のものにしたい」という支配欲であって「愛」ではない。そう思った方が、その経験は、あなたを強く優しく、しなやかにしてくれる。ただ、心が動くような相手に出逢えた奇跡だけに思いを馳せて。その出逢いを「最高の出来事」だった過去に変えれる人はあなたしかいない。
あなたが欲しいのは、「その人」ではない。もっともっとステキな人と出逢えば、「欲しい感情」は必ず味わうことができる。固執することなく、美しく、強く、凛と生きてほしい。
大丈夫。きっと見つかる。
私の愛しい子。
おしまい