「前提感」を制するものが、人生を制す
最近、パーソナルトレーナーをつけて筋トレをしております。
先日、「今日は、スーパーセットでいきましょう」とトレーナーさんが、3種類の動きをセットにするスーパーなものを組みた立ててくれたのですが。
渾身の説明の最中、ずっと
「スーパー銭湯って、なんやねん。なんでこれが銭湯?あれ?戦闘なのかな?」
と、ひとりあっちの世界に飛んだ結果、まったく同じことをもう一度説明させるに至った青木です。
(まいど)
今日は、私のミッションの話
私には人生のミッションというものがありまして。それが、これ
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「ある前提」で生き、自信のある豊かな人を創る
これを、仕事でもプライベートでもずっとやっていたいと思っています。
どういうことか、まずは英語の分野で説明
英語って「あなたには、ない」というスタンスで語られることがすごく多くて。
例えば、
「あなたには、単語力がない」
「文法力もない」
「なにもない」
だからこれを覚えなさい。というスタンス。これが「ない前提」。
ゼロからスタートするものに関しては、それはそれである程度のレベルまで連れていってくれるので良いことだと思うのですが、中学3年、高校3年とか英語をやっていて、それでもまだ話せませんという人にはもういらない価値観だと思っています。
ある程度まで学んだら、スタンスを「ある」に変えていく必要がある。
そして、その「ある」というスタンスは人生を変える。と思っています。
(大きく出た←でもホント)
脳みそはgoogle検索みたいなものだから。
「なんで私は話せないだろう・・・」と検索をかけると、間違いなく「話せない理由」が上がってくるわけです。
頭が悪いから
年だから
センスがないから
それって、質問が間違ってる。
頭の中で正しい質問をすると、その答えに驚くような「違い」を感じることがよくあるわけです。
例えば、さっきの「どうして私は話せないんだろう?」という質問から、こっちに変えてみる→「どうしたら伝わるだろう?」
困った!伝わらない!と思ったら、コンマ1秒でそっちの質問をする。そういう必要があるのではないかと思うわけです。
でもね。
この「コンマ1秒」が曲者でして。
とっさに出てくるものは、なにを元に出てくるかというと・・・
その人の前提感
その人が「人生の前提として」なにを持っているのかが多大な影響を与えると思っています。
これ、心理学で言われていることらしいのですが。
(私は、そちらの専門ではないのでさらっといきます。)
人が「成果」を出すには「成果」単体では出てこないと。その前に必ず「行動」があるわけで(そりゃそうだ)
でも、その「行動」も「行動」単体では出てこないわけです。「行動」の前に「思考」がある。
その前にも「心理」やらなんやらあるらしいのですが、ぐっと上の方にいって、最終「前提感」があって「世界観」がある。
(こんな感じ?)
なので、その大きい「世界観」やら「前提感」からスタートして、最終「思考」に至って「行動」する。
だから、「行動」を変えようとしてもなかなか行動単体では変えることって難しい。「思考」「だって同じ。
「前提」がどこにあるのかで「思考」なんてすっと変わってきちゃう。
「思考」は、最終成果物なわけです。
ということで、私が常日頃思っていることは、これ。
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「前提感」を制するものが、人生を制する
そしてこれって、英語だけじゃないの。絶対に。
英語って「恐怖の象徴」だから、この「前提感」が強く出てきやすい。
なのでそこと向き合っているうちに、英語以外の分野でも「自分の前提感」を自分の体の外にぽこっと出して眺められるようになる。
そうすると言語化できるし、可視化できるから「前提感」を変えやすくなると思っています。なので英語を使って最初は練習してみるのがオススメ。
そうやって自分の「前提感」と向き合うクセをつけると、人生のありとあらゆるシーンで自分の前提感と向き合うことができるようになる。
私も、しょっちゅう自分の前提感を観察しては驚愕しているのですが。
自分には「ない」と思っているのか。
それとも、「ある」と思っているのか。
いつも、そこを観察する。
あぁ、また「できない」と思ってたわ、とか。面白くて仕方がない。
例えば、なにかうまくいかないことがあった時
「きっとうまくいく」という前提感だと、どんなことがあっても条件に左右されることなく「じゃあ、どうしよう」と考えることができるわけです。
以前、コーチングの川嶋治子さんのメルマガに書いてあってものすごく好きなコトバがあって。細かい文言はちょっと思い出せないんだけど、こういうことが書いてありました。
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あなたの望みが120%叶うとしたら(絶対にうまくいくことが決まっているとしたら)あなたは今日なにをしますか?
「うまくいかないかも」っていう前提感でいると、条件に左右されて凹む。
だけど、うまくいくことが決まっているとしたら、起きた出来事が悪いことだったとしても「キタ―!最大の山場!」となる。
つまり「自分」と「自分が作った成果物」に対する評価を切り離すことができる。この、「自分の存在」と「成果物への評価」の「切り離し」は、めちゃくちゃ大切。
人が動けなくなる最大の理由って、結構これなんじゃないかなって思う。
自分の発言と、自分の存在価値は別モノ。
だれかに「バカだな」と思われることと、自分の存在価値はまったく別。
でも「自分にはなにもない」と思ってると、成果物に対する悪い評価が来た時「自分の存在価値」のことではないなのに落ち込む。いい評価だとしても「今回は、セーフ」的な安心感しか得られないから、いつも不安。そして「やっぱり自分にはないんだ」という確信をいつも強めてしまう。
自分以外の誰かが「正解」を持っていて、それをたまたま知っていると「まる」がもらえるという感覚に近い。それが「自分には『ない』」
「自分には『ある』」は「あ、これは違うけど、まだあるんだもんね〜。それが私の全部じゃないんだもんね〜」となる。「ある」とするならば、それは何なのかと向き合える。そこに恐怖が乗っかってこない。
だから「ない」という前提でスタートすると、「ない」という結果が出てくる。「ない」がどんどん強化されていく。「それは、違うんじゃない?」が、「お前は、あほだよ」に聞こえたら危険。
前に進む勇気が消えてしまう。前に進めなくなってしまう。
前提感が違うだけで、次に踏むステップが変わってしまう。
そうしたら、もちろん作られる未来も変わってくる。
行動することでしか、自分を見たい世界につれていくことはできないから。
なので、自分がどういう前提でいるかをいつも観察してあげることが必要だと思うのです。
大量に行動することが必要な時期は特にそう。
ふわっとした「不安」に飲み込まれそうなときは、ぜひ、自分が今なにを感じているのか、なにを考えているのか、俯瞰してみて欲しいな、と思います。
いつだって、自分を救ってくれるのは自分しかいない。
「自分は、きっとできる」という前提感の人がひとりでも増えますように。
おしまい