別れが苦手です、という話
「涙もろい人」と書いてあおきと読んでいただきたい。
気を抜くとすぐに泣きそう、青木です。
(違う、これはその瞬間じゃない)
昔から、卒業式とか。お別れ会とか。
もう苦手で、苦手すぎて、頭が痛くなります。
辛すぎるのね。
笑って送り出そう、ってできなすぎて。嗚咽しちゃうのね。
いつだって、「あと何回この人とこうやって笑えるんだろう」って意識しながら過ごしてるけど。
その事実を突きつけられて、その場にいる人たちみんなが「これがもしかしたら最後になるかもしれない」と思っている場って、もうエネルギーが強すぎて。
この瞬間が、もう二度と来ないことが切なくて。
生きてるってことは、終わりにむかって剛速球で進んでいるっていうことだ、という事実を、突きつけられる感じがして。
その刹那の狂おしさに完全にやられてしまうのです。
そういう意味で言ったら
私はいつも「ロッキングチェア」から「今」を見てるな、と思うことがあって。
ひざに猫抱えて、編み物とかしながら、窓の外を見ている感じ。←編み物できないけど
白髪で、メガネして。
ニットの帽子をかぶって。
もうそろそろこの人生を終えることを分かっている自分がいて。
それで、自分の人生に起きてきた出来事を振り返っては、その愛しさに涙ぐむみたいな。
かつて、自分の周りにいてくれた小さい生き物や←娘w
そばで一緒に笑っていてくれた人たちに、思いを馳せる。
みたいな感覚で、「今」を見てる感じがしています。
なので、もう、苦しいの。苦しいったらありゃしない。
そして今回。
「シンガポールから、日本に帰ることになりました」
と聞かされて、これが最後になるかもしれない、と聞かされたら、ひざから崩れ落ちそうになるくらいの悲しみに襲われるわけです。
そういうことが、ちょっと続きすぎてて。ちょっとやられてる。
ということで、笑ってきました。笑い泣き。
(送別会的なパート1)(ランチ的な パート2)
どこにいたって、なにをしていたって、私は私でしかいれないという制限も最高だし。
自分であるということでしか、生きてる時間を最大限に使いこなせないっていうことも最高だし。
そういうどうしようもない「制限」が、感情を強く感じさせてくれておもしろいことも分かってるんだけどな・・・。「出逢ってくれてありがとう」と、同じ時を過ごした喜びだけに浸るって、どうやるんだっけ。
シンガポールにいると、突然帰ることになる人も多くて。
それはそれは寂しいけど。また会える。絶対大丈夫。と、とりあえず言い聞かせてるなう。
私に出逢ってくれた愛しい人たち。
一緒に「今」という時間を共有してくれた人たち。
一緒に「今」を楽しむことを、「楽しいね!」と言いながら笑い合ってくれた人たち。
大好きなんだよ。
あ〜、ためになることも、面白いことも、なにも言えない。
おしまい