③「ない前提」だった私のハナシ〜主婦からの起業ストーリー〜
前回の続きです。前回はこちら
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ということで。
「ない前提」で進んでいた少女Yの人生。
やっと。本当にやっと、「なにものか」になれた気がしていた彼女を襲ったのは、交通事故。
でも本当は、その前からじわじわと「違和感」は来ていて。
それらをすべてムシして。
「そんなん甘えだ」とか。
「みんながんばってるんだから」とか。
「もっと頑張らなきゃ」とか。
「自分を生きる」ということを放棄して、ひたすらがんばっていたわけです。
そして、起きた追突事故。
次の日から、原因不明のめまいに悩まされるようになりました。
いや、交通事故にあった次の日からだから、多分「原因は交通事故」なはずなんだけどね。
どこに行っても「原因不明」と言われるわけですよ。
大学病院でも、MRI撮っても、メニエール検査しても、全部ダメ。
でも、目の前は実際、ふわふわふわふわしていて。
ず〜〜〜〜〜〜っと世界が回ってる。
仕事にならない。息ができない。
結果、休職を余儀なくされました。
ここからの1年は、今思い出すだけで涙が溢れるほどキツかったです。
これまで必死で積み上げてきたものを「手放さなくてはいけない」虚無感。
また、「なにもない自分」に戻ってしまう不安。
やっと両親を幸せにしてあげられる!と思っていたのに。
これからは、私がまわりを支えるんだって思っていたのに。
家族のお荷物になっている自分。
みんなの負担になっている自分。
なにもできない自分。
とうてい受け入れられなくて。
これまでの私の努力って一体なんなんだったんだろう?
バカみたい。
あんなにお金かけて。
あんなに時間かけて。
もう、仕事できないのかな。。。
営業事務で働いていた時、どんなに頑張っても「これ、誰がやっても同じなんじゃないかな・・・」という思いに囚われてしまったことを思い出して。「私だからできる仕事がしたい」と思ってたのに。
でも私には「なにもない」から、やっぱり「特別な資格なんだ!」ってここまでがんばってきたのに。やっと「特別な資格」取ったのに。これを手放すなんて。2年もかかってるんだよ。それまで、なんにも遊んでこなかったのに。必死だったのに。あんなにみんなのことも巻き込んでるのに。
ムリ。辛い。怖い。。。(もう、頭の中ごちゃごちゃ)
切なくて、悲しくて。
苦しくて、惨めで。
毎日泣いていました。
なにをしても治らない。
私を治すために、いろんなところから情報を得てくる母にも、なんだかもう申し訳なくて。こんな苦労人の母に、私まで負担かけてどうすんのって。
っていうか、私、生まれてきてよかったのかな・・・まで思うように。
お母さん、ごめんなさい。
私、生まれてきちゃってごめんなさい。
幸せにしてあげれなくて、ごめんなさい。
あぁ、もう消えてしまいたい。
ここで私が死んじゃったら、もっとみんなを苦しめることになるから。
だったら、最初っから私がいなかった感じで消えることってできないのかな・・・。
消えるって、どうやったらできるんだろ。
そんなことを寝ても覚めても考えていました。
その当時、後半一時期京都に滞在していて。
ちょっとお散歩に行くくらいはできるようになっていたので(ストレスがかからなければ目が回らないようになってた)下鴨神社に行って。
境内にある小さい小川の横に座り込んで。水が静かに向こうから流れてきて、水面が光を反射してキラキラ光っている様子をぼおおお〜っと見つめて。ポロポロ涙が出てくるんだけど、動けなくて。3時間くらいずっと座り込んで。それでも、お腹はすくから。
こんな状況でお腹がすく自分がまた悲しくて。「ヤクタタズ」ってコトバがずっと頭の中でリフレインしてる感じ。
いや〜・・・苦しかったな。
そんなある日
そうやって1年かけて、私は多分人生で初めてくらい
「全力で、ゆっくりする」
ということをさせてもらって。
やりたいことだけをやる、ということをさせてもらいました。(なぜか、その時できたことは「やりたいこと」だった)そんな日々を送り続けて1年たった、ある日。
突然、娘がお腹にきて。(これも6年できなかったのに)
妊娠したら、突然めまいが止まった!(これ、今でも不思議)
娘がお腹に来てくれて、本当に本当に人生が大きく動き出したのだけど。
これで、やっと誰かの役に立てる・・・
と、子育てに全力をあげ始めるわけです。(ホント、こう書いてると「がんばり屋かよ!」ってツッコみたくなる)
続きは、④で・・・。