②「ない前提」だった私のハナシ〜主婦からの起業ストーリー〜
前回の続きです。前回の記事はこちら
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そんなこんなで、大学院に行くことを決めた少女Y。
ここからも、しばらく「ない前提」のまま話しは進みます。
大学院でも、漏れなく
「私にはなにもない」
と思い込み、ひたすら「努力の方向性」を模索する日々が続く少女Y。
そんな中、アメリカに行く機会に恵まれ。
我が家のお財布状況ではまずムリ!全然行ける気がしなかったのにね。人生ってホントに不思議なことが起きる。スルスルと行けることになってしまい。
でも今思うと、この時心の羅針盤はしっかり動いてて。
「自分のコトバで話せる人になりたい!」
「いつか英語を話せるようになりたい!」
って、なんだかワクワクしていたから、そっちの方に導かれるように進んで行ったんだろうなと思います。
ホントはいつだって、きちんと心は教えてくれてるよね。そして、向かうべき方向のときってタイミングが合うよね。でも、ムシするのは、いつもこっち側。
いろんなヒントは来ていたはずなのに、「ない」と思い込んでるときって、すべてのヒントを華麗にスルーする。英語を話す方法論も、どうやったら勉強しないで話せるようになるのかも、この頃にはもう手にしていたのに。
「英語の先生って、英語の勉強が好きな人がなるものでしょ!」
「私は、英語の勉強大キライだから、英語の先生なんて絶対ムリ!できない!」
と決めつけて。
ここに私の強みがあったのに。答えは私の中にあったはずなのに。「自分にはなにもない」という思い込みは、才能から自分を盲目にする。
いわゆる「世の中こういうもん」という偏見という名の「常識」に縛られて。それを疑うこともなく過ごしていたわけです。
そんなこんなで、ず〜っと「次に受けるべき資格試験」を探しつづけ。人に聞き続けという日々。
ちなみに、これまで挑戦してきた資格試験の(主な)ラインナップは・・・
「気象予報士」→もともと全然理系じゃないのに、必死で勉強して・・・玉砕。(これは1年勉強してた)次に「司法書士」を勉強。
もう、絶望的に「法律の頭」を持っていないのに、必死で勉強して・・・玉砕。(これも1年まるっと勉強)そして、最後に行き着いたのが、「アメリカの公認会計士」。
いや〜・・・。リアルで私に一度でも会ったことがある人は分かると思うのですが・・・私、本当に「公認会計士」の器じゃないんですYO。お会計の人数割計算なんてさせようもんなら、壊滅的。なんてったってね。数字が苦手なのね。(得意なのは、言語)
なんで「公認会計士」なんて選んじゃったんだろう・・・?
そうですよ、人が「これがいい!」って言ったから。
これ。これなのよ。
他人が正解を持っているから。
「私には、なにもない」から。
なので、人の言うことをすぐに信じて、努力して、結果、「自分にはなにもない」という結論が突きつけられる。「ない」からスタートしたら、どんな風にがんばったって「ない」という結果しか出てこない。
ホント、なにこの感じ。茶番。
この当時、アメリカの公認会計士の試験はアメリカに行かないと受けられなかったので、何度もアメリカに渡って。2泊3日とかでね。
飛行機の中でも猛勉強。機内食なんて、いりませんから!食べる時間がもったいありませんから!レベル。ホテルに到着と同時に猛勉強。トイレまでテキスト持ち込んで。
次の日朝から試験に向かって、試験が終わったら走って帰ってきて。次の日のテストのために猛勉強。ホテルの部屋から一歩もでることなくひたすら勉強して、試験連続2日受けて。
2日目のテストが終わった頃には、もう頭ふらふら、疲れすぎてもどしそうになりながら、そのまま空港向かうみたいなことしてたなぁ〜・・・。空港に向かうタクシーで、運転手さんが「楽しかった?」とか陽気に聞いてくるんだけど、遠い目をしながら、「あぁ、いぇす・・・」とか答えちゃう感じ?←ほぼ、聞いてないよね
青い空も、青い海も、恨めしかった・・・。
(イメージ図)
この試験って、簡単に受かる人にとっては簡単だと思うんだけど。私にとっては結構大変で(向いてないしね)
その間、通ってた専門学校が潰れたり(最高かよ!みたいなネタだな)
カリフォルニアまで試験受けに行った時なんか、飛行機10時間とか乗って行ってんのに1点差で落ちたり(既視感)
その間、何回泣いたか分からないくらい泣いて。もうヤダ!ヤメル!とか言いながら。
それでも2年以上かけてなんとか全教科突破。その時点で、「これ、向いてないんじゃないかなぁ・・・」という違和感と共に合格(おい)
この違和感、大事にしなかったあの頃。
あんまりモノゴトすんなり動かなかったんだけど。この「モノゴトがすんなり動かない」という情報すらムシ。
やっと受かったし!これまでがんばってきたし!もう、これをぎゅっと握りしめて握りしめて。タイミングが合わないのに、ゴリゴリそっちの方向で進めていくわけです。
そして、ある日。
就職活動も、やっぱり「なんでこのタイミングでこれが起きるの?!」みたいなことがバタバタ起きて。結構苦しみました。
ただ、難航しながらも、やっと外資系の大手保険会社に入社が決定し。
大学院卒業と共に勤めていた営業事務の仕事の頃から年収は3倍くらいに上がって。
やっとこれで、両親を幸せにできる!と喜んでいたわけです。
当時のオフィスは、東京にあったんだけど。
大きなビルの中に入っているそのオフィスに通うことがもう嬉しくて。
就職が決まった時なんて、父親と母親と3人で車に乗ってそのオフィスタワーを見に行って。
(イメージ図)
千葉出身だしね。小学校の通学路に蛇が出てくるレベルの田舎育ちだったしね。きらびやかなビルがそびえ立つ中、車を道ばたに停めて。フロントガラスから3人で首を伸ばして上を見上げて。うわ〜・・・とか言いながら。
「いよいよ我が家からも大手外資系勤務が出ました!前田家ばんざ〜い!」
とか言っちゃって(あ、旧姓前田ですw)
でもね。
やっぱり「ない」からスタートしたものは「ない」に落ち着いていく。悲しいほどに。
本当に不思議な「人生の修正力」みたいなものが働く瞬間があって。
ある日、首都高を車で走っている時に、後ろの車に追突される交通事故に合うわけです。
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