世界の広げ方
シンガポールのチャンギ空港まで、30分。
家を出る1時間くらい前にスーツケースを引っ張り出して、パッキングを始める。
必要なものは、もうリスト化されていて、脳みそを極力使わないようにパッキングの準備ができるようになった。
空港までの道も、これから乗る飛行機の「搭乗手続きのことで頭がいっぱい」な状態ではない。
なんだか、考え事をしたり、ぼ〜っとキラめくシンガポールの街並みを見つめたりしながら、気がつくと「着いたよ」と言われる。
チェックインカウンターも、お土産もの屋さんまでの道も、ラウンジに到着するまでも、ほぼ自動操縦状態。
なにも考えなくても、行ける。
ましては、言葉が通じなくて困るなんてこともない。
この間は、自分の住んでるマンションの日本人に「あ、どうも」と挨拶したら、
「日本人だったんですか!!!」と驚愕された。
娘のバスの送り迎えで、カナダ人とアメリカ人と中国人のママと、ずっと英語で話してたから日本人じゃないと思ったとのこと。
日本人かどうかを判別するのって、英語を話してるかどうかなんだ・・・
なんだか、ビックリしたし、もっと日本人の英語力あげるから待っててね・・・と、自分の力不足を感じたりした。
私の20年前
と、こうなったのって、いつからだったのかな・・・
と考えてしまう。
確か、初めて飛行機に乗った20年前は、3ヶ月くらい前から準備してた(笑)
スーツケースやら、お土産やら、当日空港に着いてからのあれやこれや。
挙げ句の果てに、心配すぎて空港職員の方に搭乗口までついてきてもらった。←父が心配しすぎて、お願いしたんだけどw
飛行機のドアが閉まり、「安全のしおり」を食い入るように読んだし、飛行機がふわっと飛び立った瞬間は、本気で後悔して、泣いた。
遠ざかる成田空港を見つめながら、初めて「私、日本人なんだな」と実感した。
それまで、自分が日本人であることは、もちろん知ってたけど、こんなに「実感」したのは、初めてだった。
そして、「違う国に行くんだな」という実感が、湧いてきた。
やっぱ、やめればよかった・・・
なんで、こんな無謀なことやるなんて言っちゃったんだろう・・・
「びぇ〜ん」と、泣いて、この気持ちを忘れちゃいけない、と、一生懸命に手帳に書き込んだ。
その手帳すら、どこに行ったかわかんないけど、多分、こんなことを書いていたように記憶している。
「こうやって、人生を広げるんだ。怖くて当たり前なんだ。絶対、大丈夫」
結果として、この最初の出国は、全然大丈夫じゃなかったんだけど、
いや、長い目でみたら、ネタだらけの大丈夫すぎる出国になったわけで。
こうやって、世界を広げる。
怖くて、いい。
そして、20年後の私は、これが
「あまりにも当たり前で、その出来事に感情すら動かない出来事」になっている。
きっと、みんなそうやって世界を広げてる。
気がついてないし、自動操縦になった頃には、もう、その頃の「ドキドキしてた自分」を忘れてしまっている。
だから、今、
「こんなん、こわいよぅ」というものが出てきたら、もうけものだと思うの。
それ、今、こわいよぅ。のまんまやってみたら、いつか、自動操縦になる日が来るから。
もしも、その「こわいよぅ」が、「でも、できるようになったら、なんだかかっこいいかも」という部類なら、なおさら、進むべき。
そうだったよなぁ〜・・・
そうだった・・・確かに。
実は、今、すごくやってみたいけど・・・「こわいようぅ」ということがあり。笑
はい、そうです。
自分に向けて書いた記事。
3年後にもう一回読んで、ニヤニヤしよう。笑
今、私の頭の中にある、「こわいよぅ」が、自動操縦になってる自分をイメージするだけでワクワクするなら、それは、多分10年後の私からのメッセージな気がするから。
泣きそうだけどwww