完)「ない前提」だった私のハナシ〜主婦からの起業ストーリー〜

前回の続きです
前回の記事は、こちら
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いよいよ、セミナーコンテスト全国大会。品川のコクヨホール
(でかい)
ここまで怒涛のような日々。
2012年はこのセミナーコンテストに明け暮れながら、自分のコンテンツを磨き続けました。寝ても覚めてもって、本当にそんな感じ。(今思うとあんま寝てなかった)
トイレに行くことも忘れて没頭しちゃう感じ。(トイレには行きましょう)
そういえば、地区大会の時に「青木さんの服装、キャバクラっぽいから洋服変えて」ってアドバイスもらって・・・(キャバクラ・・・「しかも安い方」って言われたw)
全国大会3日前に70着くらい試着して。お店回りすぎて足くじいたりしてました。(マジで痛すぎて舞台立てないかと思った)
(めっちゃ走った イメージ図)
そんなこんなで
いよいよ、300人の前で発表。
そして、このときね。一緒に出場していたのが、こちら
(たにやん)
お医者さまで。人の生き死の話しをされる方。「あなたはどう生きますか?」を突きつける内容。もうね、こんな人と同じ舞台に立つってなったらね。「勝ち負け、もういっかな」ってなっていて。
私は、私の、救える人を
って、ず〜っとつぶやいて。そこから自分の意識がずれないように。
誰かの評価とか誰かに好かれるとか嫌われるとか、そういうのから自由になって。とにかく誰かの役に立てたらいいなって。
これ以上、私には努力とかムリだったし。
これ以上のことはできない。
そう思って発表を終えた後はもう満足で。結果発表を聞いている時も、この顔。
あぁ〜・・・全部やったな。もう、満足だなって。
そしたらなんとね。
準優勝のところで名前が呼ばれまして。
もう、驚きすぎて。
なんだか、びっくりしすぎて。(同じ意味)
これね。「主婦からの起業」について話す講演会で話すときはいつも言うネタだから、ここでも言わせて。
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2位なのに号泣www
実は
このセミナーコンテスト全国大会の時期。
私の実家はちょっとだけ大変で。
父が糖尿病で、それに伴いうつっぽくなっていて。
母が乳癌で手術をしたりしていて。(今は、ふたりとも元気!だけど)
もう家の中暗い暗いw
あまりの暗さに「私が少しでも明るい話題を作らなきゃ・・・!」って踏ん張ってたのもあって。
この場に立ち、なにか夢のある世界を見せれたら彼らを救えるんじゃないかと思っていたりして。もう、家をしょってるような気持ちもあったりしたわけです。(だから必死も必死だった)
そこで、準優勝の発表。なんか、もう気持ちが溢れちゃって。
嬉しくて。
感動で。
うそみたいで。
これまでのいろんな瞬間の「私」が目の前に集結してきて、全員でうわ〜と泣き出すような。
苦しかったな・・・。
しんどかったな・・・。
でも苦しくて、しんどくて、それでよかったのかもな。私には、この歩き方しかできなかったし。不器用だし。それでよかったんだ。これまでの私ありがとうって。張り詰めてた糸がぷちっと切れて。
あまりに心が動いてしまって、司会の谷さんに
(右が谷さん。最近はさんまのホンマでっかTVにも出てる超売れっ子先輩!後に一緒に司会をやった時の写真。)
「それでは、準優勝スピーチをお願いします!」
と、一言求められた時。
なにを思ったか、会場に来ていた父親に向かって
「お父さん・・・ここまで育ててくれて、ありがとうぅ!」
って泣いて。
谷さんに
「嫁入りかっ!」
って、ツッコまれたという。爆
そんな全国大会でした。
そして
あの時。私の人生の扉が大きく開いたのを感じました。
あの後、出版が決まって。
すごい勢いでみんなが応援してくれて。
各地での出版記念セミナーを開催してくれて。
英語の本ってあんまり売れないよと言われながら。
(英語の本は、1万部売れたらベストセラーと言われた)
「ずるいえいご」は、8万部。
「なんでも英語で言えちゃう本」は、5万部。
出版する時は、作家で出版社も経営されている出版のプロ、木暮太一さんに本当にお世話になりました。
(出版したい人は、ぜひ木暮さんのところで学んでみて!HPはこちら)
結果、2014年日本経済新聞出版社で最も売れた著者として、特約店会で話させてもらったり。
「悪魔英語」という漫画本の監修もさせてもらって。(こちらはKADOKAWA)
プレジデントとか、日経ウーマンとか。
それまで憧れていた雑誌は、一通り全部出させてもらって。
(「これから雑誌の取材だから」というセリフが普通に毎週出てくる自分に、当初驚いた)
テレビ出演のオファーが来たり。
NHKもあった(驚)
ラジオに出たり。
新聞に載ったり。
ここからも、何度も何度も試されるようなことが起きて。その度に覚悟を決めて。
講演の依頼が来て。
300人以上の人の前で話すことが当然になっていって。
企業研修の話しをいただいて。
重役の方が「駐在の経験から、私がまさに思っていたことをこの本に書いてくれていた!みんなに聞かせたいから」と熱いオファーをくださったり。
「すてる英語くらぶ」というオンラインサロンのようなコミュニティーを作って、大好きなメンバーと学んだり。
なにかの集まりにでかけたら「青木さんが憧れです」と向こうから声をかけてもらったり。
本を持ってきてくれて、サインをお願いされるようになったり。
なんなら、サイン会まで開催してもらえたり。
本当に、あの頃の私が聞いたら驚くようなことがたくさん起きて。
いろんな出来事が起きるたびに、ドキドキする自分もいたりして。
その度に、自分と向き合って。
自分を励まして。
勇気づけてここまで来たけど。
やっぱり、いつでも私の「心」が羅針盤で。
心が導いてくれたところには、感謝してもしきれないほどいっぱいのものをくれた人たちがいて。
その出逢いや、共に過ごす時間や、一緒に学ぶ時間が、今の私を作っていて。
すべてが「それでよかった」と、やっぱり思うのです。
「ない前提」で始まった私の人生も、それでよかったし。若さを謳歌すべきときに、眉間にシワを寄せて学んでいた私も、それでよかった。
そして「誰かのために」という気持ちって、本当にいい感じのエンジンになることも知った。今は「自分のために」というエンジンでどこまでなにができるのかをやってみたいフェーズだから、つい人のためになにかをしてしまいたくなる自分を封印するようにしてるけど。
(企業研修で山梨に行った時。大好物の信玄餅)
そういえば、最近はまっている「こてつさん」というブランドの専門家の方がいるんだけど。その彼が言っていて、すごく響いているコトバ
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「守るものがない人ほど、不安になる」
あの時、あんなに踏ん張れたのは、確実に「幸せにしたい人」がいたからで。(セミコン界隈では「鋼(はがね)の心臓」言われてるらしいけど、そんなことない)
それが、どんなに辛い涙や悲しい経験から作られたものであっても、そういう人がいてくれるだけで力になるということを知った。だから、悲しくていい。辛くていい。
そして、そういう人であってくれたおかんが、やっぱり私には宝もので。
大事で仕方がない人で。愛してやまない人。
私の人生の最初の記憶
これが、本当に本物の記憶なのかはわからないんだけど。私が持っている一番古い記憶は、ベビーカーのような乗り物に乗っているもので。寝っ転がった視線の先にはぬけるような真っ青な空が一面に広がっていて。
綿あめみたいに薄く広がる雲に手を伸ばしていたら、満面の笑みの若かりしおかんが私を覗き込んで。本当に幸せそうに優しく私に手を伸ばす、その姿で。
その光景が目に焼き付いているのです。
あの笑顔を見たい。
私が、生まれてきてよかった、と思えるその景色。
人って自分の力以上のものを出すとき「幸せにしたい人」がいると強いのかなって思ったりしている。
あなたにとっての「大切な人」は誰ですか?
あなたが「幸せにしたい人」は、誰ですか?
そして、今、ふと思うこと
チャンスはピンチの顔をしてやってくるってよく言うけど。
結果「チャンスだった」に変える人はいつだって自分で。
変えてみせようホトトギス的な発想がなければピンチはいつまで経ってもピンチなんだろうなって。
いきなりピンチがマスクを取って
「サプラーイズ!実はチャンスだったんだよーん」
なんていう生易しい棚ぼた展開なんてなかなかない。
いつだって、どんな時だって「自分次第」
生きにくいなら「自分の思考の枠」に囚われている。そしてもしそうなら、そこから抜け出す設計を自分で行うしかない。
そうやって、これからも自分の心が指し示してくれるヒントを大切に、いっぱい行動して。
いっぱい笑って
いっぱい傷ついて
そして、いっぱい優しくなって
いっぱいの人に出逢い
楽しいね!といい合える人生を送っていきたいな、と思っています。
専業主婦からの起業物語。実に全10話。
お付き合いいただいて、ありがとうございました。
(娘っこが撮った写真。こんな目で私は彼女を見てるんだと思ったやつ)
あの時、憧れた
自分の世界を持ち、知的で美しく凛とした人。
そんな人に少しでも近づきたいと思って。
それとは正反対の本当に「だっさい自分」をさらしてみたけど。
これからも、いつかそうなるためにひたむきにその道を歩くんだろうな、と自分を奮い立たせています。
いつか、これを読んでくれているあなたにお目にかかれることを楽しみにしています。あなたのことを、心から応援しています。
愛を込めて。
青木ゆか









