もしアドラーが上司だったら(小倉広著)「アドラー心理学」を吸収するのに、最高の本!
ドラさんに語らせることで、こんなにも響くなんて
人を救う情報を、物語に乗せて、相手に届けてみたい。
そう思い始めてから、もう2年(!)経ち始めています。
そんな時、この本を手にしました。
もし、アドラーが上司だったら
小倉広著(プレジデント社)
読み始めてから、この「ストーリー」の力にぐいぐい引き込まれて・・・
ドラさんの人物像やら、主人公の心理・思考やらが、インストールされるように身体に入ってきて。
心地いいったらありゃしない。笑
そして、こんな風に、物語で人に大事なことを伝えられる力を持つ人を、心から尊敬します。
大事なことって、やっぱりストーリーだから。
いつか、私も、ストーリーに乗せてみたいな。
今、自分が抱えているモヤモヤや、葛藤、自己否定や「もっともっと」な要求。
いろんなことが、すぅ〜っと「それでいいんだよ」と抱きしめられたような気がするのです。
それは、「偉い人」が言ったコトバじゃなくて、主人公の成長や葛藤、心と寄り添うことで起きる化学反応なのかな。
自分に「染み込んでくる瞬間」を体感できたこと、本当に嬉しいです。
そして、読んでいてすごく感じたこと。
それは、私「アドラー心理学」を広めたいな。。。でした。
本当に、素晴らしいの。
少しでも、これが伝わるように、頑張ってここで書いてみたいと思います!
「勇気づけ」からすべてが始まる。
「人はね、『自分には能力がある。自分には価値がある』そう思えたとき、つまり困難を克服する活力『勇気』で満たされると、放っておいても『もっと、もっと』とさらなる優越を目指すんだ。決して『このあたりでやめておこう。現状維持でいいや』とはならないんだよ」(p.26)
みんな、「できないこと」を探しすぎ。
これが、私がいつも考えていたことです。
(あ、英語を教えるシーンでね)
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日常生活では、修行の身ですw
できていることを見つめて欲しい。
自分のすごさに、心を踊らせて欲しい。
結果、「できてる!」「それでいい!」ということになるんだけど。
それを言うと、「間違っちゃ怖いんです。」という人がたくさん。
究極、ぶつけてみて伝わらなかったら変えればいいんじゃない?というのが、私の見解。
ちなみに、私は、「伝わらなかった時に、どうにかする方法」を教えています。
そっちに、いつも目を向けていた方が、「走る力」になる、とずっと信じてきました。
そうしたら、「できていない自分」に注目がいかないから。
現状の「負の注目」をしない。→「正の注目」
できているところだけに注目する。
今の日本に戻ると、とても苦しんでいる人が多くて。
それは、「勇気づけ」られている人が少ないからのような気がしていて。
そして、それは「自信」からやってくるということを心底感じていて。
自分を勇気づけてあげて欲しい。
あなたは、これまでも一生懸命やってきてる。
自分を見捨てることなく、決して裏切ることなく、前をみて、「できる自分」を夢見て、その足を前に出し続けてる。
これまでも、これからも。
だから、自分を勇気づけてあげて。
調子に乗って。
楽しんで、ノリノリで。「オレって、私って、最高!」で生きる。
あ〜、みてるだけで幸せ♡(笑)
機能価値と存在価値を混同するから、苦しいんだよ。
多分、このコトバを知ってるだけで、複雑に見えてる感情がシンプルになると実感。
アドラー先生、天才だ・・・。
ママ業をしていると、この現象に「違和感」を覚えるシーンにもよく出くわします。
あぁ、これも「自信」とか「豊かさ」とか「勇気づけ」に関連している一要素なのか・・・だから、アンテナにひっかかってくるんだ、と納得。
「◯◯ちゃんより、できたから」
「常に、競争させて、負けたくない!と思わせることで、子供は伸びる」
それは、それでいいんじゃないかな、とも思うのだけど、それとその子の「存在価値」とは全く別なのに、混同させてしまっているシーンに出くわすのです。
実際、ママもそうやって育てられてきたんだろうな・・・。
そう信じているママも、人との比較でとても苦しそう。
100点取ってきたら、
「ほかに、100点だった子は?」とか聞いちゃったりして(笑)
「機能価値」の高低に一喜一憂し、常に感情が揺らぎます。すると、ますます「機能価値」が発揮でいなくなる悪循環に陥るのです。解決策はただ一つ。根拠なく自らの「存在価値」を認めることです。(p.101)
人と比べる。つまり、上下、優越でものごとを考えている限り、永遠に心に平穏は訪れない。これをアドラー心理学では『縦の関係』と呼ぶんだ(p.111)
貪るように読みました。
あぁ、私、この本待ってた!
どんどん広めていかなきゃ・・・という使命感的なものすら感じてきます。
私事(わたくしごと)
「アドラー的アプローチ」が必要だといつも痛感しています。英語教育も。
そしてこれが、もっとも成果がでる。
そして、このアドラー的なアプローチを取ることによって、英語が話せるようになる・・・だけじゃないわけです。世界を広げていく人が増えていく。
1つアプローチを変えるだけで、人生が変わっていく。
本当に不思議だな・・と思うのです。
・できているところを探す。
・人と比べること(縦の関係)を断つ。
・勇気付ける。(周りも、自分も)←これは深すぎるから、また別の機会に書けたらいいな
この3つを実行するだけでいい。
この3つがなによりも大事。
これまでアドラーの本を何冊も読んできたのに。
入り方が全然違うのです・・・
私のミッションを言語化した直後だったからでしょうか・・・?
(私のミッションについて書いていた記事)
私のミッション
「ある前提」で生き、自信がある豊かな人を作る
って、もしかして、アドラー先生が言っていることの「勇気」の元をみんなに渡していきたいってことなのかもしれない・・・と気が付いたりして。
あぁ、やっぱり、広げていくお手伝いをしたい・・・。本当に素晴らしい心理学だ・・・とひたすら感動してしまうのです。
できないことを数えて、自分を責める。
英語は「恐怖の象徴」みたいになってるから、如実にその人の「思考」が現れます。
だから、この傾向が強くなる。
英語という「ツール」を使って、アドラー先生の言ってらっしゃることを表現してみたい、という衝動に駆られます。
そんなに自分のことを責めないで。
その単語がなければ、考えればいいんだよ。できるんだよ。
できなかったとしても、それは、あなたの存在価値とは全く関係ないんだ。
私は、これを全力で表現していきたいんだなと。
そして、最後のコトバが、ずっと頭の中でリフレインしています。
足や腕にのっそりとへばりついていた重しが、するっと落ちて、見える景色がいつもより鮮やかに映ります。
人生はとてもシンプルだ。そして・・・・・・。素晴らしい!
ひとりでも、多くの人に届きますように・・・(祈)