一体いつから「できない」なんて思うようになったんだろう?
11月(も)、日本に帰っていました。
日本に久しぶりに降り立つと、季節の移り変わりが激しくて焦ります。
シンガポールは年中常夏だからね・・・。
こうやってドップリ日本にいるわけではないと、逆に変化に敏感になって、最近の動向とか、空気感とかに気がつく精度が変わる気がしてます。
あ、でも一番驚いたのが、「生姜チャイ」のコンパクト化だけど!
ち・・・小さい!!!
日本の商品が、年々一口サイズ化されている気がしてなりません。笑
もっと、大きくなっていいんだよ!←心の叫び
どうしても観たかったミュージカル
「天の河伝説」というミュージカルがどうしても観たくて。
観たくて観たくて、行ったのだけど・・・観た結果、なんか、言語化が進まなくて困っています。
このミュージカルは、旺季志ずかさんという方が手がけた作品。
そう、この方です。
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私は、彼女の世界観が大好きで。
そして、紡ぎ出される「物語」の中に浸ることに心が躍って仕方がないのです。
ストーリーで「人生の真理」を伝える作品が、もうすごい。
脚本家としてもご活躍なのですが、小説も2冊。
「臆病な僕でも勇者になれた七つの教え」(感想は、こちら)
「虹の翼のミライ」(感想は、こちら)
その彼女が脚本・演出を手がけるとなったら!
もう、観たい〜!!!と心が叫びだしそうになるわけです。
そして、後から知ったのですが、このミュージカル。
一般予約がスタートすると、全700席がたった2分で完売したって・・・
はやっ!
私が、このミュージカルを観れたこと自体奇跡に近い感じな気持ちになります。
いつも、志ずかさんの紡いだ物語に触れると、しばらく動けなくなるのですが。
今回も、例に漏れず。
(なんか、ぼおおおおっとしたくなる)
「ミュージカルとして、どうだった!」とか「この役者さんのここが素敵だった!」みたいな感想も、当初持ってたんだけど、それ以上の影響力が、日常の私の決断たちにジワジワと浸透してる気がしていて。
それが一体なんなのか。
その先に見えるであろう世界が、掴みきれずに、ただただジワジワと、その影響を受け取るがままにして、この世界を楽しんでいる感じがするのです。
私に訪れてる変化
影響を言語化してみようと思います。
朝目が覚めたときの、朝日の優しさとか、ツンとする初冬の空気感とか。口に広がる食べ物の感覚とか。
全部選んで、自分で決める感じ?
自分を取り戻す、ということを、あの舞台をトリガーにして進める感じ?
全ての決断を意図的にする覚悟の背中をそっと押された感じ?
自分の目を使うこと、自分の内側を観察すること。自分の中に女神がいるんじゃなかろうかと、意識を向けること。
私は、私として生まれたという「舵取り」を自分がしている。
自分の人生に、自分で責任を取る感じ?
なんだろう。。。あー。。。言語化。。。(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
自分の中の女神について
最近、「自分の中の女神を目覚めさせる」という文章を目にすることがなぜか増えています。
でもそれを文章でコトバをなぞるだけだと、無機質すぎて、躍動感がなくて、「ふぅーん・・・女神・・・?」で終わらせてしまっていたのかもしれない、と感じるのです。
やっぱりミュージカルってすごい。
あれは、「体験」じゃないかな、と。
あの舞台の、あの役柄の、あの子は、なぜあの瞬間変わったのか。
そこに宿ったものはなんだったのか。
自分も物語を生きてるんじゃないか、と思考のシンクロが起きるのかなぁ。
神として覚醒する瞬間。人として生きる覚悟を叫ぶ瞬間。どんな黒い感情も、成長の糧とする視点。
人の愛しさ。身体を持つということで、避けられない現象。全てを、流れの中で受け入れる感じ。
舞台の中で、ふとした拍子に出てくるセリフが、恐ろしい程に重くて、深いメッセージが染み込んでくる感じがするのです。
それも、時間をかけて、ジワジワと。
いま、総じていえることは・・・
なんとなく、視点が上がった感じがする。
自分を生きてる感じがする。
自分を受け入れている感じがする。
安心してる感じがする。
ずっと、あの世界観に触れていたいな・・・。
号泣した瞬間
舞台の最中、ミュージカルなのでいろいろな歌が流れてくるのですが。
その中で、今もまだ頭の中を流れてくる曲があるのです。
「私には、むり」
「そんなことできるわけない」
と思い込む主人公に向かって、「自分の可能性に制限をかけないで」と神様たちが歌うシーン。
「いつからだろう?」という出だしで歌いだされる曲が流れてきた時は、涙が止まらなくて。
あれ?ここ、こんなに泣くとこ?って、頭ではわかってるのに。
喉のちょっとしたのあたりが、しびれ始めた・・・と思ったら、嗚咽して泣いていました。
一体、いつからなんだろう?
「自分には、できない」なんて、思うようになったのは。
いったいいつから、自分の可能性を信じないようになってしまったんだろう。
あぁ、やっぱりそうだ。
怖くて、いいんだった。
「恐怖」が襲ってきたら、人生の「楽しい!」ハイライトのひとつが近くに来てるっていう合図だった。
わかっているのに、いつも「怖い」という感情に支配を許して、気が付いたら「安心」な場所を選びほっとしてしまう自分の不甲斐なさを見せつけられるようだったのです。
そうじゃない。
私は、もっとできるはずだ。
そのために、生まれてきたんだった。
でも、なんでだろう。
「いつからだろう?」と言われると、やっぱり泣きそうになる。
赤ちゃんの時は、「私には、むり」なんて思ってなかったはず。
いつから?と問いかけられると、「私には、むりなんだ」と思った瞬間の氷のカケラみたいなものが、フラッシュバックみたいに視界に飛び込んできて、心をきゅんと締め付ける。
そして、その「きゅん」と一緒に、「あ、そんなん、織り込み済みだった」と思い出す感じと、自分の人生の愛しさを再確認するような、懐かしい感じに包まれる曲。
そんな葛藤やら、怖さやら、すべてを「わかってるけど、ね」と言われているような、そんな気持ちになる。
もっと、心が躍る「怖い」ことをしたいんだった。
いつだって、怖いことの先に、想像もしないほどの喜びとワクワクが待っていたんだった。
日常に流されて、またきっと「怖いよう」とか言いそうだけど。
その度に、聞き返したい。
あの曲が好きすぎます。
ずっとお会いしたかったHappyさん
地球に存在してくれていることにすら感謝をしたくなる、志ずかさん
自分が「大好きだな」と感じるものに出会える喜び
心が躍る瞬間が自分の人生にまた増えた感謝の気持ち
「自分に還っていく」という、おそろしい程に楽しい体験をさせてもらってるのを感じました。
自分に起こっていることは、全部、面白すぎて、豊かすぎて、幸せすぎて、本当笑えてくる。
なんていうか・・・ありがとう、しか出てこないミュージカルでした。